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2011年2月27日日曜日

アジアはグローバリズムに対応している

とにかく、町の食堂でも、英語は通じた


1987年、プサン


小さな食堂へ、ひとりで入った、昼飯


サラリーマン風の人たちがいた


水槽に、魚がいたので、何語でしゃべったか忘れたが・・・


見たことのない魚を一匹刺身にして、皿に盛り付けて、昼ごはん


例のごとく、ニンニクで食う


さすがに、ニンニクまみれで、半分しか食えなかった


そして、ハウ・マッチ?


サラリーマン風のおじさんたちが一斉に、ぎろりとこっちを無言で見た・・・


だが、食堂のオヤジは、平然と、XXXサウザンド


たしか、1500円くらい? 3000ウォンだったはず・・・


スリー・サウザンド


食堂のオヤジは驚いた様子もなく、そう言った・・・



アジアに行けば、まずは、町の食堂で、英語くらいは通じる


英語をしゃべるからではなく、グローバルに対応しているのだ


以上


カネが無くなった・・・

ホテルのカウンターで、銀行を教えてくれと言うと

ボーイが連れて行きましょうか?


地図を書いて、自分で行く

地図を書いてくれたが、ストリートはハングル文字だけ


どれが、銀行だ? 目が回りそうだ・・・

やっと見つけた、小さな銀行


キャッシング・プリーズ、Maxの500US$を書いて、パスポートと一緒に出した


400US$分のウォンをキャッシングしてくれた@1987年、マスターカード


アジアはグローバル対応していた・・・


400US$分のウォンをもらうと、札束になった、笑い

カネ持ち~~~、笑い



日本車は、ほぼゼロ、見た記憶が無い

多くがヒュンダイ?

バスは、ベンツかな?

敵陣なのかな? 笑い





英語が通じなくて、困ったことは?


モロッコとドイツの民宿

イタリアの国鉄で、切符を買うトキ

駅員が英語を話せない振りをした・・・

粘ったら、英語をぺらぺらしゃべりだした、故意に英語を使わなかった





夜中の12時過ぎに、リスボンの町へ着いた

安宿探し・・・

信号のシステムが良く分からん

だが、安宿でも、英語は通じた・・・

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