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2013年11月28日木曜日

中国

中国には敵わない。漢字は中国製。



天安門(てんあんもん;満州語:abkai elhe obure duka)は、中華人民共和国の北京市東城区に位置する城門。世界遺産・故宮(紫禁城)の正門であった門であり、楼上で毛沢東が中華人民共和国の建国宣言を行い、中華人民共和国の国章にもその姿が描かれるなど、中華人民共和国の象徴のひとつとされている。天安門広場とは「長安街」通りを隔てて隣接している。


2/11/2009

李白・杜甫・白居易
(Wikipedia)

李白

李白の詩は豪放磊落で、唐の絶頂期の男性的な力強さを持っていると言われる。素直な感情をダイナミックに表現する骨太な詩風が特徴。

李白の豪放な性格では官僚は確かに似合わなさ過ぎると言えよう。こうして李白は再び念願の自由人に戻ったのである。


杜甫

杜甫の詩の特徴としては社会の現状を直視したリアリズム的な歌を作詩しており、同時代の親友でもあり、幻想的で明るい歌を作詩する李白とはある意味反対の詩風を持っていた。詩史(詩による歴史)とも呼ばれるその叙述姿勢は、後には白居易の諷喩(風諭)詩等によって受け継がれていくこととなる。

当時の名門出の詩人達の大半が思うように仕官して政治を行いたいという願望をもっていたが、それが適わない夢と終わってしまったことにより、少しでも社会を良くしようと思う気持ちが詩に大きく影響している。



李白と杜甫は対照的なんだな。

白居易

772年、鄭州新鄭県に生まれた。子どもの頃から頭脳明晰であったらしく、5~6歳で詩を作ることができ、9歳で声律を覚えたという。

彼の家系は地方官を輩出するくらいの低い家柄であったが、安禄山の乱以後の政治改革により低い家系でも取り立てられやすくなったおかげもあり、800年、29歳で科挙の進士科に合格した。35歳で盩厔県(ちゅうちつけん、陝西省)の尉になり、翰林学士、左拾遺にまで上りつめた。このころ、『新楽府』を完成させた。


杜甫の詩もすごいけど、平家物語の序も勝るとも劣らない。

平家巻第一

祇園精舎鐘聲 諸行無常響有 沙羅雙樹之花之色 盛者必衰之理顕 奢れる人も不久 只春夜如夢 猛者終亡ぬ 偏風之前塵同
遠異朝訪秦趙高漢王莽梁周異唐禄山此等皆舊主先王政不随樂極諌不思入天下之亂事不悟民間之愁所知士歟者不久亡者也
近く窺本朝承平將門天慶純友康和義親平冶之信頼奢心猛事取々社有士歟共親六波羅之入道前太政大臣平朝臣清盛公申人之消息傅承社心言(以下略)
訓読: 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響有り。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。奢れる人も久しからず、只春の夜の夢の如し、猛き者も終には亡ぬ、偏に風の前の塵に同じ。
遠く異朝を訪へば、秦の趙高、漢の王莽、梁の周異、唐の禄山、此れ等は皆、旧主先王の政にも随わず、楽を極め、諫をも思い入れず、天下の乱む事を悟らず、民間之愁る所を知ざり士歟者(しかば)、久しからず亡びし者ども也。
近く本朝を窺うに、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平冶の信頼、奢れる心も、猛き事も、取々に社(こそ)有り士歟共(しかども)、親(まぢかく)は六波羅之入道前の太政大臣平朝臣清盛公と申せし人の消息、伝え承る社(こそ)心も言も。
(出典 Wikiquote)

小原庄助さん

民謡会津磐梯山

『♪エンヤー 会津磐梯山は 宝の山よ 笹に黄金が エー またなりさがる 小原庄助さん なんで身上つぶした  朝寝 朝酒 朝湯が大好きで それで身上つぶした もっともだ もっともだ♪』

以下のサイトからコピーしました。

http://www.shousuke.com/shousuke/minyo/index.html

小原庄助さんは、ある種の天才だと思います。延々と同じことをして遊び続けることなどは、普通人にはできません。すぐに、飽きてしまいます。

 会津でもっとも有名な人物といえば小原庄助さんではないでしょうか?『朝寝、朝湯が大好きで、それで身上つぶした。あ~もっともだぁ、もっともだ』の唄の文句を知らない人はいないでしょう。

  ところが、この庄助さん、一体どんな人だったかというと不思議なことに、実のところよくは分からないのです。もっとも有力な説として語られているのが、戊辰戦争で華々しく散った小原庄助なる人物。庄助さんは苗字帯刀を許された郷頭で髭をたくわえた豪傑。めっぽう酒が強く、大の風呂好き、ここ瀧の湯にも長逗留したという言い伝えが残されています。豪放磊落で明るく多くの人に愛されたイメージは、唄の文句にピッタリですが、酒で身上つぶしたという1点だけは、合いません。

  正義感に燃えた庄助さんは戊辰戦争に参戦、市街戦で唯一勝利を納めた材木町口の戦いで戦死、その名は今も石碑に刻まれています。この庄助さんゆかりの湯が、藩の共同浴場として親しまれてきた当館の湯なのです。

 湯を愛し、酒を愛した小原庄助さん、小言にこだわることなく、「利」に生きず「義」に生きる。そんな庄助さんのイメージは日本男子の憧れであることは間違いありません。ひょっとしたら東山の湯につかり、会津の美味しい酒に酔い、きれいどころをはべらした呑ん兵衛たちの心の中のヒーローが、三味の音と共に口をついてポッと飛び出した・・・・・・それが本音の庄助さんなのかもしれません。

青柳洋介


                春望 杜甫 
     
国破山河在  国破れて 山河あり
城春草木深  城春にして 草木深し
感時花濺涙  時に感じては 花にも涙をそそぎ
恨別鳥驚心  別れを恨んでは 鳥にも心を驚かす
烽火連三月  烽火 三月に連なり
家書抵万金  家書 万金に抵(あた)る
白頭掻更短  白頭 掻(か)けば更に短く
渾欲不勝簪  渾(すべ)て 簪(しん)に勝(た)えざらんと欲す

    絶句    杜甫

江碧鳥逾白 江碧にして鳥逾(いよいよ)白く
山青花欲然 山青うして花然(も)えんと欲す
今春看又過 今春看(みすみす)又過ぐ
何日是帰年 何れの日か是れ帰年ならん

以下のサイトからコピーしました。

http://dewanokuni.hp.infoseek.co.jp/essay68.htm

戦いが終わって、人が死に絶えると、国も死に絶えます。

要するに、人あっての国です。

もともと、国とは抽象物です。具体物ではありません。

逆に、人は具体物です、抽象物ではありません。実在します。

国とは、人の頭の中にあるだけです。国とは何か? 答えられますか?

人とは、僕です、あなたです、彼です、彼女です。簡単に答えられます。具体物だからです。実在するからです。

青柳洋介

法とは?


国のためのルールではありません。

人のためのルールです。

人がいなければ、そもそも国などは存在しえない。人あっての国です!

青柳洋介

教育基本法とは?


国のためのルールではありません。教育を受ける側のためのルールです。要するに、子供たちのためのルールです!

政治家のイデオロギーではありません!

青柳洋介

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